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【節約投資家激増】「節約」「投資」「収入」のバランスについて論じてみる

2020 6/09
【節約投資家激増】「節約」「投資」「収入」のバランスについて論じてみる
我々の生活は多くの分野においてオンライン化が進んだことにより、各サービスの価格競争の激化や、モノを所有するスタンスからサブスクリプション型に生活の軸が徐々に移っていることもあり生活コストが大きく下がっています。
 
マッケイ自身も、数年前は1万円以上払っていた携帯代も格安SIMにより今や3000円ほどになり、日常の食品買い出しもほぼネットスーパーで済ませている為、車を所有意義もなくなり生活コストが数年前より大きく下がったのは間違いありません。
 
今後、会社員の給料は年功序列体制や終身雇用制度の崩壊により、上昇余地がないどころか退職金・年金まで大幅減が予想され、副業を推進する文化も加速していく流れの中で、時代の流れに乗れない多くの民は今までのような生活水準を保つことすら徐々に難しくなっていくでしょう。
 
そして多くの方がこの時代を生き抜くために「節約」と言う言葉に目をつけました。見た目の生活水準を下げない為に努力で必ずできること、それが「節約」です。
 
最近は、特に20代の若者を中心として「節約家」が出てきており、中には収入の70%近くを節約していると言う強者もいます。節約により、年収400万円でも老後億万長者の道が開けたわけです。
 
マッケイは、節約を否定するつもりは全くなく、むしろ私自身もできる限り節約策を講じていますが、身を削って節約した資金を投資するほどではありません。
 
先日、現在節約投資家の方として頑張っている古き友人(世間的には節約家の部類)と話す機会がありましたので、個人的に思ったことをまとめてみました。(もちろん、そいつは最高にいい奴です。)
 
目次

「稼ぐ努力」と「節約する努力」が同価値だと思っている

 
友人曰く、「頑張って稼いだ100万円」も「頑張って節約した100万円」も同価値(100万円は100万円)であるため、身を削って節約することは収入をあげたことと一緒であると言っていましたが、これは間違いです。
 
節約の先は「0円」であり、ゼロに価値はありません。
 
いくら運が良く、さらなる努力をし知恵があってもゼロはゼロなのです。友人はその生活レベルから来る節約の限界値にすでに達しており、節約がそれ以上の価値を生むことはありません。しかし、収入には物理的限界値が存在しないため「運」「努力」「知恵」で人を選ぶことなく青天井であることを理解していませんでした。

節約を誇り、節約が妙にサマになっている

 
友人は普段会社員をしておりますが、妙に貧相な雰囲気を出していました。決して、見た目が下品であるわけでもなく、臭うわけでもないんですが、少しダラっとしたスーツを着てそのスーツを80%offの5000円で買ったものであることを誇らしげに話してました。
 
話を聞く限り、おそらく友人の資産額はヘタしたら私とそれほど変わらない程度です。(収入は倍以上違いますが。)それなのに彼にはそのような雰囲気が出てしまっていたのです。私は友人の服や雰囲気には一切言及しませんでしたが、「収入を上げる」という行為からドロップアウトしたかのように見えてしまいました。

節約を「努力を裏切らない産物」だと思っている

 
節約に対する努力が裏切られることはまずありません。
 
全てが「自己完結努力」に対する対価なので。
 
一方、収入を上げるという行為は、努力が必ず身を結ぶことはありません。
「運」や「知恵」「タイミング」等様々な要因が複合的に重なり合って形成されるもの事実です。
 
友人は「節約は努力の賜物」と言って確実性の高い努力をしているものの、その努力の対価を不確実性の強い「投資」に向けているという、パラドックスに陥っています。
 
このパラドックスは人生の中で当然起こりうることです。
 
我々は最終的には不確定要素が入り混じった人生の中で戦っていかなければなりません。そうであるならば、はなから「節約」以上に「収入の上昇」という不確定要素の強い方へ目を向けた方が合理的なのです。
 

仮に収入が上がっても「生活水準は変わらない」と言う

 
資産が増えても生活水準が変わらない人は多くいますが、収入が上がっても生活水準が変わらない方はまずいません。
 
年収3000万円の人と年収400万円の人では、いくら前者が節約をしていたとしても間違いなく生活水準は違います。それは、前者の年収の方は一定の支出(日常への投資)がさらなる収入を生み、そしてそれがさらに資産となっていくことを知っているからです。
 
一方、「資産があっても収入の無い方」は、「資産がなく収入も無いの方」と生活水準が変わらないことは多々あります。なぜなら、彼らにとっての資産は収入を生み出すマシーンに過ぎず、心理的幸福感を得られる資産ではないからです。
 
不労所得を維持するのに精一杯になり、場合によっては別で収入を得ようとしている方も多くいます。節約で貯めた1億円が経済的自由を与えてくれないのも頷けます。
相続で偶然1億円受け取っても、いきなり生活水準を上げる方は少ないでしょう。なぜなら、資産は増えても収入が増えていないからに他なりません。
 

「資産」と「収入」の違いを理解していない

 
よく「資産家」という言葉を耳にしますが、「収入家」と言う言葉は聞きません。
 
友人は俗に言う「お金持ち」を「資産家」と同義にしていました。
 
確かに「お金持ち=資産を保有している」ことは間違いありませんが、一方で友人は彼らが「高収入」であることを理解していませんでした。
 
資産家は収入が長期に渡り資産を形成し、結果的にそれが貯まったことで「資産家」と呼ばれているだけなのです。
 
友人は「1億円を貯めてリタイアしたい。」と行っていましたが、1億円を年利3%で回しても手取り年収240万円です。2億あっても年収480万円です。これを「富裕層」と呼べるでしょうか。
 

図1

【画像引用元:野村総合研究所「純金融資産保有額に見た保有資産規模と世帯数」より】
 
 
もちろん、上記の図が示すように1億円以上の資産保有者は一般的には富裕層の部類ですが、収入がなければ1億円を守ることに必死になり心理的な経済的自由を得ることは難しいのです。
 

まとめ 過度な節約よりも本業、副業で収入を増やす努力をしよう

 
特に若いうちは「過度な節約」や「資産運用」に勤しむのではなく、根源的価値である「収入を上げる」ことに重点をおくべきです。
 
マッケイが、資産運用でインデックス投資や積立投資をオススメしているのは資産運用を最小限の労力かつコストで自動化できるからです。
 
根源的な経済的自由や豊かさは、物理的なお金の価値には比例しません。資産運用はあくまでも経済的不確定要素をヘッジするための手段として行い、節約によって心の豊かさまで失われないように心がけましょう。
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